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東京高等裁判所 昭和54年(う)825号 判決

被告人 高橋正明

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人藤本時義、同小野瀬有連名提出の控訴趣意書に記載のとおりであるからここにこれを引用し、これに対し、記録並びに原審取調の各証拠により以下のとおり当裁判所の判断を示す。

第一  控訴趣意第一の論旨は、原判決が証拠に掲げる被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書合計四通(所論のいわゆる自白調書)につき、右は違法な逮捕若しくは勾留の間に録取作成されたものであるから証拠として許容されるべきでなく、かつ、任意性にも欠けるというものである。

一  論旨前段について

(一)  被告人は、藤沢警察署からの電話による出頭依頼に応じ、昭和四九年五月二日午前九時ころ単身同警察署に出頭し、本件事故に関する事情聴取と、次いでポリグラフ検査を受け、正午過ぎころ警察車に捜査官と同車して事故現場へ出発し、現場で事故当時の状況に関する指示説明を行い、これが終つて午後三時四〇分ころ再度警察車に同乗して本件の捜査本部が設置されていた大和警察署へ向かつたものであるが、原判決は右三時四〇分ころをもつて被告人が令状なく実質的に逮捕されたものと認定しているところであり、これに引続くその後の経緯は、同日午後四時ころ大和警察署へ到着し、被告人が上申書を作成し、逮捕状請求関係書類が整えられ、午後五時ころ係官が逮捕状請求のため横浜地方裁判所へ向かつて出発し、その発付を受けて戻つたあと午後八時四〇分いわゆる逮捕状の執行がなされ、翌翌五月四日午前九時一〇分検察官に事件送致、同日午後二時五〇分勾留状の執行がなされた、というものである。

(二)  右のとおり、本件においては、原認定のいわゆる実質逮捕があつたのち、逮捕状の請求、発付並びにこれに基づく逮捕の手続がとられたものである。そして、逮捕状発付にあたつて行われる司法審査は逮捕の理由並びに必要性の要件の審査と請求手続の適否効力の要件の審査であり、これに先行する手続過程の瑕疵は、一般に、それが右の各要件に取り込まれ合体しているかぎりにおいて、いわば結果的に審査を受けることになるものであるところ、これを本件の逮捕状の請求、発付並びにこれに基づく逮捕についてみると、いずれの場合にも、被告人が原判示の罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由と逮捕の必要性の客観的に存在したことは所論にも拘らず逮捕状請求書添付資料中原判示上申書を除外したものによつても十分肯認でき、その他逮捕状の請求、発付、執行の各手続上にもとくに瑕疵があつたとは認められないから、原判示のとおり、右逮捕の請求、発付並びにいわゆる執行は固有の要件、手続をみたして十分なものであるということができる。

いうまでもなく、逮捕の適否効力の法的評価にあたつて最も重要な要素は逮捕状の発付・執行の有無適否であるから、右に示したとおりこれが固有の要件並びに手続に欠けるところなく存在する場合、このことを右法的評価にあたつて軽視し、恰も実質逮捕のみが存在して令状の裏付をまつたく欠くときと同様に逮捕の全過程を目して当然に違法であるとみるのは失当であり、かえつて固有の要件に欠けるところのない逮捕の手続がかく履践された以上は、そしてそのことによつてこれを境に手続段階を明確に前後区分することを可能ならしめる前提状況が備わつた以上は、逮捕の適否効力の評価はむしろ前後別異に成立し、かつ、逮捕状の発付執行によつて、これに先行する実質逮捕の瑕疵こそ治癒されないまでも、右の瑕疵が以後の逮捕段階にまで波及することは一般的には避けられるものと解して差支えない。

かかる場合にあえて右瑕疵の波及を認めるべき場合があるとすれば、その根拠は固有の逮捕要件をやや離れた実質面に求められることとなろうが、右のような区分評価の立場に立つならば、令状主義の趣旨を保障し、司法の無瑕疵性を維持し、違法捜査を抑制するという実質的要請に応えるためであつても、令状執行後の逮捕段階までも不可分に乃至波及的に違法無効とすることが当然に必要だということにはならず、また、区分評価に伴つて何らかの不都合な脱法的事態が生ずるときは、当該手続内でこれを是正するのでなければ逮捕制度の趣旨に反するという部分のみに限つて、当該手続内で是正解消が考慮されれば足りることになると考えられる。かかるものとして考慮されなければならないのは、逮捕制度の趣旨にかんがみれば、いわゆる逮捕のむし返し乃至刑訴法二〇三条以下に定められた拘束時間制限を潜脱する結果を避けるということであるが、本件の場合は、事件が検察官に送致されたのが五月四日午前九時一〇分ころのことであるから、右は、被告人が実質逮捕されたとされる同月二日午後三時四〇分ころ(この認定が誤りであつて、実質逮捕の始期がより遡るものとは認めがたい)を基準にすればもとより、かりに藤沢警察署における取調開始時から起算するとしてもなお法定の四八時間という制限以内のことであつて、被告人に対し時間的に過重な拘束を及ぼしたものとは認められない。また、かく事の実質面を問題にするものである以上は、右午後三時四〇分ころの時点において既に逮捕の理由と必要性があつたとする原認定の事情並びに捜査官側に令状なくして逮捕するという意図若しくはことさらな認識が存したとも認めがたいという主観的事情もここに合わせ考慮されてよいであろう。加えるに、本件における実質逮捕の間に作成された被告人の上申書一通は既に原審において証拠から排除され、すなわち実質逮捕のいわば効果が心証形成面に影響することも遮断されているものである。以上を総合していえば、前記実質的要請の見地からしても、本件における実質逮捕の瑕疵を逮捕状の請求、発付、執行の段階にまで波及させることを必要相当とすべき特段の事情は存しないということである。

結局、逮捕状に基づく本件逮捕は適法有効である旨の原判断はこれを肯認することができる。

(三)  本件勾留請求は、いわゆる送検から二四時間以内、かつ原認定の実質逮捕時はもとより任意出頭時から起算しても法定の七二時間以内になされたものであり、また勾留に先行する逮捕が適法有効なものと解されることは上来説示したとおりである。そして、勾留状請求の資料から前記被告人の上申書を除外しても、勾留事実の存在、勾留の理由並びに必要性の存在が認められることは原判示のとおりであるから、結局本件勾留も適法有効であると認めるに足りる。

(四)  以上のとおりであつて、被告人の供述調書合計四通が証拠として許容されない旨の論旨は、本件の事実関係のもとで直ちにそのいう排除理論があてはまるかどうかを問うまでもなく、前提において採ることができない。

二  論旨後段について

原判決が、被告人の取調の状況、各供述調書の記載内容といわゆる上申書との対比等を通じて、前記いわゆる自白調書に供述の任意性が認められるとした判断については、所論にも拘らず、これを誤りと疑うべき事情を記録上見出しがたい。

第二  控訴趣意第二の論旨は、原判決が本件における注意義務の内容として判示するところを論難するものである。

しかし、原判決は、被告人が横断歩道上に人影らしい物体を認めたのはその手前約一三メートルの地点であるとし、同地点で直ちに急制動のみならず所論の右への急転把の措置をも講じたが及ばなかつた旨認定したものであつて、所論にも拘らず右認定を誤りとはなしがたい。そして、本件の事実関係のもとでは、原判示のような注意義務があるとする判断は肯認するに足り、これが不特定過酷な注意義務であり、かく認めることが罪刑法定主義に反するとの論難は失当である。

第三  控訴趣意第三の論旨は事実誤認をいうものである。

一  いわゆる自白調書の信用性について

所論のいわゆる自白調書に述べられている概要は、前方横断歩道左側に低く屈んだ姿勢で立ち、その場から動こうとしない被害者を左手にみて、センターライン寄りに右転把しつつ制動進行し、いつたん横断歩道上に停止したのち更に左前方へ進出して下車したとき、被害者は道路上に仰向けに倒れていた、とする趣旨のものである。

右各供述の信用性を判断するにあたつてまず被告人自身の右に先立つ供述とその後の公判段階における供述内容とを対比してみると、その昭和四九年三月三一日付司法警察員に対する供述調書は、要するに自分は事故の発見者、救護協力者であるとする内容のものであるが、具体的には、(イ)二トン位のトラツク二台並びに白色様の乗用車一台よりなる先行車群に追従して相模大橋から約一〇〇メートル進行したあたりで、右先行車三台が次々に右転把しセンターライン一杯に寄つた、(ロ)自車もこれに做つてセンターラインに寄り進行したところ、センターラインと左路端の中間位に人らしいものが倒れているので、その四、五メートル先左側に停止下車し、近付いてみると本件被害者が横になつて倒れていた、そのコートを合わせてやつたりして警察の来るのを待つた、(ハ)右に先立ち、相模大橋を渡る直前の上り坂で大型定期便トラツク二台と白色乗用車一台が被告人車並びに前記先行車群を追抜いて去つた、(ニ)自分が運転していた車は同乗者斎藤の乗用車であつて車名もナンバーも知らない、というものである。うち(イ)部分の虚構性は、のち被告人の自認するところであるが、その「陳述書における弁疏によつても、かくまつたく架空の先行車群の存在をことさら積極的に言い立てるだけの合理的根拠があるとは認められず、結局、被告人は自己に対する本件加害の嫌疑を先行車に積極的に転嫁して免れようと企てたものとしか認めようがなく、かくてはまた、右(ニ)の車両秘匿の試みも同様の意図に基づくものと推認される外はない。かように、被告人が自己に嫌疑を招くことを回避しようとする強い意図を有し、そのためには事実を捏造することさえ敢えて辞さない態度をとつたということは、一般に、その自己に有利にする弁明の信用性を著しく損い、反対に自己に不利にする供述の信用性を高める状況的事情であるといわなくてはならない。また被告人は「陳述書」において、自車は相模大橋を過ぎてからは右側車輪がセンターラインにかかるくらい道路中央寄りを進行していたものであつて、そのまま直進しても横断歩道左側の黒いものを轢くおそれはなかつた旨、自己にいつそう有利にする新規の弁疏をするにいたつたが、右は、嫌疑回避の強い意図で一貫している前記三月三一日付供述調書に(イ)(ロ)として述べる進行方法とさえも齟齬し、その信用性ははなはだ疑わしいとしなければならず、この点もまた前記と同質の状況的事情とされることを免れないものである。

次に、いわゆる自白調書自体の内容についてみると、調書の用字如何に拘らず、その供述の趣旨が前方横断歩道上の黒い物体は人のようにも見えるものであつたとするにあることはその具体的形状に関して供述する内容自体から明らかに認められるし、かつその形状に関する供述の変遷も本質的なものとは認められず、要するに、所論にも拘らず、その内容それ自体において信用性を疑わせるに足りる事情は見出しがたい。またひるがえつて被告人の供述以外の関係証拠と対比してみても、いわゆる自白内容がこれに符合し、若しくは格別の矛盾の存しないものであることは、以下に順次説示するところから明らかである。

以上総合して、いわゆる自白調書に信用性を認めた原判断はこれを肯認することができるものである。

二  被告人車と事故との結び付きについて

(一)  所論は、車体構造と被害者の受傷部位との対応関係に関する鑑定結果とこれに基づく原判示を論難する。ところで、原判決挙示の鑑定書二通並びに鑑定人二名の差戻前第一審における供述内容等によれば、被害者は概ね立位の状態で、身体左側部に対し体前方から体後方に向かい、キヤブオーバー型自動車による衝突を一回受け受傷したものと認められるものである。轢過を疑う痕跡はとどめない。そして受傷の原因となつた外力の作用方向が右のごとくであることは、特に左側頭部に擦過打撲的に生じた傷害並びに頭蓋骨亀裂骨折の態様と左上腕部に擦過打撲的に生じた傷害並びに上腕骨骨折の態様等から推認されるものである。

原判決は、左側頭部の擦過打撲傷等は被告人車左側ドア上部蝶番によつて生じたとみることが可能である、左上腕部の挫創等は前記ドアの突出した前縁部分によつて生ずることが可能である、左腰部の打撲傷並びに肋骨骨折は被告人車左前角付近に当つたためと考えられる旨判示し、被害者の傷害の部位、程度、形状と被告人車の構造並びに車体痕跡との対応関係を肯定した。所論はこれを論難して、被告人車の前部とくにフロントバンパーに接触することなく車体左側面に突出する蝶番、アンテナ、ドア前縁等に衝突することはありえないというが、原判示は、内部に肋骨骨折を伴う左腰部打撲傷について被告人車の左前角付近との衝突によるものと判示しているのであつて、決して前部との接触がないとしているのではないし、さらに原判示のとおり、被害者が衝突直前とつさに反射的防禦姿勢をとつたのであろうと認められること並びに最初の接触以後身体と車体との離脱にいたる過程でその姿勢に当然変化が生ずるべきことを考慮すれば、被害者の態位と右転把進行中の被告人車との相関的位置関係は固定不動のものといい切れず、このことを考え合わせるときは、両者の対応関係に関する原判示を不合理であるとすることはできない。同様の理由で、蝶番の形状、アンテナの取付位置等を根拠にする論難にも左袒することはできない。

(二)  所論は、被告人車が接近する以前に被害者は既に受傷して倒れ伏していたとする。しかし、所論に沿う証拠としては、虚偽を多く含む前述の昭和四九年三月三一日付供述調書並びに「陳述書」を含む公判段階での被告人供述のみであるところ、前者のとうてい信用すべからざること、かつ後者の信用性に疑問のあること、そのいわゆる自白内容に信用性を認めるに足りることは既述のごとくである。酒気を帯びた八四才の栄養状態の悪い老人が、さなきだに車両との遠近関係、位置関係の判断に迷いやすい夜間降雨中の路上において、しかも自らは横断歩道上にあつて進行関係上一切の車両に対して優位にある場合、原判示のとおり車両の接近に間近まで気付かず、気付いたときには動転してその場に立ちすくむ等のことは十分考えられるから、黒いかげが動こうとしなかつた旨の被告人供述を根拠に、被害者が既に受傷していたとして原認定を論難することは当らない。

(三)  所論はまた、被告人車は現場で急転把急制動をしていないと主張する。しかし被告人は、第一次第一審第一回公判において右に急転把して車を止めたと述べ、「陳述書」においても、停止線手前から少しく右転把しかつ比較的強くブレーキを踏んだ、急停止したので助手席の斎藤もちよつと驚いたようだつたと述べ、また右斎藤も公判廷において、車はかなり大きく右ハンドルを切つた旨述べているのであつて、それが全転把全制動であるか否かは別としても、これのみによつても転把制動が決して緩いものでなかつたことは明らかである。路上のスリツプ痕を右側タイヤによるものとする原判決の認定が誤認であるとしてもこの点は判決に影響を及ぼすものではない。

また、前記いわゆる自白調書において、被害者の直近約五メートル足らずで回避操作に出た旨述べられている(原判決がそのように認定しているわけではない)点をとらえて、急制動急転把が存しなかつたことを示すものとすることはできないし、右の点がいわゆる自白の信用性を失わせるに足りるとすることもできない。

(四)  更に、いわゆる自白調書においては、被告人が当初現認した黒いものの位置と被害者の転倒位置との違いが積極的に述べられているが、この違いをもつて夜間降雨の中を走行中の見誤りに起因するとする所論はいささか不自然であつて、この点に関する原判断を肯認できるし、被告人車と被害者との現場通過時間帯に関する推認並びに被告人車の特定車種性との関連において、本件加害車両が被告人車以外に存することの可能性が限局される旨の原判示も、十分合理的であつて肯認するに足りるものである。

三  以上のとおりであつて、原認定は原判決挙示の各証拠を総合してこれを肯認することができ、その余の付随的論旨を考慮しても、原認定に論理経験則に違背し若しくは著しく合理性を欠くものがあるとは認めがたい。

第四結論

結局論旨はすべて理由がない。よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 木梨節夫 栗原平八郎 柴田孝夫)

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